日常=人とはちがうこと=ビジネス

2015年になって、色々な角度からサービスのことを考えてきた。

今日の記事は、いままでを整理することでサービスとはを述べたい。

 

ぼくは自分の可能性にかけるため(人とちがうこと)、

社会に爪あとをのこしたいため(人とちがうこと)、

新卒の会社をやめさせてもらった。

結局人とちがうことでお金を稼ぎたかったのである。

直感的にやめた動機は、今考えれば間違っていなかったと思っている。

 

あれから、2年ちょっと。

ぷらぷらしてた、、、けど、ぷらぷらがよかった。

精神的余裕があるときはいろんなことを吸収しやすい。

とりあえず、思想的なベクトルはそこで築くことができた。

 

それは、ビジネスは「日常とかわらないこと」。

それは、自分が尊敬できる人たちがもつ真理である。

そしてそれは、会社をやめた理由である、「人とちがうこと」であると思った。

 

なぜなら、それをやっている会社がすくないと思うからだ。

なぜかビジネスとなると、人間性が失われている気がする。

それは会社が目的的だからだろう。

合理性を求められる組織においては、自分らしさが失われる。

なぜなら、人間は合理で客観的判断だけで生きていないからだ。

生まれてから体験したことへの感情から、

反射的に色々なムダなことをするのが人間であり、

それが人々の日常なのである。

人間はつねに合理を求め続けると息苦しくて生きれないだろう。

だから温泉があるのだとぼくは思っている。

そんな温泉を提供できるものは僕は作りたい。

 

しかし、温泉でも「一切のスキがなく心地よい場」ということじゃない。

教師的に、長期的にみたら良いことだが、短期的にみたら不便なこともやる。

卒業式では、「あのときは自分のことを考えてくれてたんだな」と思えること。

その温泉がちゃんと存続して、

そこを出入りする人たちが、沢山の種類の香り風呂はなくて不便だけど、

毎週毎週かわる香り風呂がそこにはあって飽きない、とか。

 

そして次に、関わる人たち全てがメリットがあること。

ごはんとおともであれば、

生産者の方、ユーザー、そして僕らごはんとおとも。

これらが良いバランスでまわって、ちゃんと自分たちも儲かる。

そんな仕組みを作りたい。

じゃあ、それぞれ何がメリットなのか。

それはまた明日投稿したいと思う。